音ノート1、2、3と書いてきましたが、諸事情により、どれもアクセス出来なくなりました(泣)ので、2019年6月からこれを始めてみました。
2000年から東アフリカはケニアのTenwek Hospital に派遣して頂いています。
6月3日
昨年6月6日にケニアを出た一年往復チケットなので、6月5日までにケニアに入国しなくてはならない。 大事をとって一日早く6月4日にケニア入りするため、6月3日に成田を出発。インマヌエルの2人の先生に祈って送って頂いた。 諸手続きの変更、今まで住んでいた所を空にする、船便で送るものの発送をする、(献品でお預かりしていたものを5月に入ってから送ろうと思っていたが、もっと早くすれば良かったと後悔。)飛行機用の荷造り等々課題は山積み、でも逃避行動にもちょくちょく走り、思うようにはできなかったものの、何とか飛行場に時間前に着く事が出来た。前もって送っておいたトランクの受け取りも無事終了。浄水器、梅干しなどの内容、重量など、お咎め有りか無しかどきどきしながら申告した物も通過。パスポートの残り6か月以下問題は案の定指摘されたがとにかく飛行機には載せてもらえた。 ゲートの前で「日本らしい」もの数点購入出来た。現地でお世話になっている方々へのお土産用。スイカを使うのもこれが最後。そして前もって都内の携帯電話の支店で聞いていた番号に電話。今まで使っていた安い携帯電話サービスでは番号キープ出来ないので、数週間前に大きな会社に変更。ただし休止手続きをしたその時から電話が使えなくなるのでそれは困ると言ったら、「支店で説明は聞いていますので」と言って出国直前に手続きする方法を教えてくれた。その通り言ったのだが、マニュアルに規定されているのか、支店で聞いた説明を一通りまた繰り返して確認して下さるので、ゲートに間に合わないのではとハラハラした。きっと何度説明しておいても、「聞いてない!!」とクレームをつける人がいる為の対策なのだろうと思ってしまう。電話の直後携帯メールが入り、とりあえず短く返信、もう少し詳しく、と打ったらもう回線が切られていた。流石仕事が早い。 予定通り夜中の12時頃アブダビ到着。この国「らしい」もの、を探したらレゴのラクダがいたので、お店の人に許可をもらって撮影。レゴで作るんだから目つきなんてどうともできるのに、わざわざ底意地悪そうな目つきになっている所が可笑しい。 音はケニアで最初の礼拝を守ったナイロビのキュナ教会から聖餐式と共に。
6月4日
朝の8時にゲートに行って9時離陸予定なので時間はたっぷり。前回、女性と小さい子供専用の仮眠室があったなあ、確か、と思うのだが、少し遠い所のようでもあり、急にほぐれて熟睡してしまうのも怖い。まずはそこら中にある使用料無料のコンピューターで日本にメール。結構ぶつぶつ切れてしまうので、もともと重要な情報は入れないようにと注意書きがあるものの、何だか怖い気も。Gメールは、知らない端末からだからか警戒されてしまい、使えない。確認画面らしきものが出てくるのだが、英語表記にしておいても肝心の所がアラビア語表記になってしまうので先に進めない。 とりあえずヤフージャパンはアクセス出来たので良かった。読むのはそのまま、メール本文はローマ字書きまたは英語で書いて送る。時間があるから色々見ようかと思っても、ヤフーのトップからのニュース画面から先への展開は出来るのだが、普通にグーグルで何か言葉の意味など検索しようと思っても、ことごとくブロックがかかってしまう。 買う予定は無いのだが、「らしい」もの探しも兼ねてお土産屋さんに移動。そういえばラマダン期間だったけれども現地時間が夜だったせいか、前のように飲食に気を遣わずに済んだ。干したナツメヤシ(デーツ)にチョコ掛けした、「チョコデート」というお土産が、「チョコレート」の語感をうまく生かしたネーミングで何だか気に入っていたが今回は買わず。以前は確か機内で、「本国はラマダン中なので目立つところでの飲食はお避け下さい」みたいなアナウンスがあって、日の明るいうちの待ち時間の間、チョコデートの小袋を買って、目立たないように少しずつこそっと食べていたような記憶がある。 時間がたっぷり、現地では真夜中でトイレも混んでいなかったので、ゆっくり時間を使えて、財布の中身を日本円からドルとケニアシリングへ詰め替える。また、ケニアに着いてからㇳランクを広げないで良いように、携帯電話と電池も手元に移動。ラップトップの電池も十分あったので、ゲート前の椅子で、締め切りの近い原稿も集中して仕上げられた。 近代的で空調も効いた立派な建物の中なのだがやっぱり脱水気味になってくる。サラダか果物か、さっぱりしたものが食べたい、と物色。「ジャパニーズパウダー」とかなんとかいうのがあって、原材料の表示を見てみると、要するにすし飯に色々おかずを載せた軽食、ということらしい。近代的な空港だけれど、すぐ外は砂漠が広がっているんだろうなあ、という景色を見ながら食べる。水は、日本でも売られているヨーロッパ系のブランドの値段の3分の1から4分の1の地元ブランドのを買って節約したつもりでいたら、食べていた座席のそばになんと自動販売機があって、更に4分の1の値段で地元ブランドを売っていたのでがっかり。人件費の分高かったということか。 ぽくぽくした食感だったがすし飯も美味しく、「海藻」として茎わかめの細切りや、甘酢漬けのしょうがの薄切り等が入っていたのも嬉しい。美味しかったけれど、離陸して最初の機内食は和食かと思っていたらそうでなかったこともあり。真ん中に入っていたちょっと甘口の醤油がけっこうたっぷりあって、勿体無いので柔らかくつぶせる地元水のペットボトルに入れて持っていく事にする。醤油の容器の底の方に刻み生姜が入っていて、道理で美味しいはずだと2度びっくり。これで野菜炒めを作ったらおいしいだろうなあ、とナイロビでのお楽しみとする。 音は再びナイロビのキュナ教会から。
(校註;後でレシートをよく見たら、「ジャパニーズパワー」という名前でした。)
6月4日その2
機内で配られた紙に機内で記入、まずは入国審査。パスポートの有効期限が6か月以上ないと入国できないというルールがあって、以前その問題で奥さんと息子さんが入国できず、ご主人だけ入国できたボランティア医師のケースがあった。今の自分のパスポートは9月で切れるのだが、問題は数年分の就労ビザがこのパスポートに載っている事。パスポートの更新自体は日本で簡単に出来るが、それに就労ビザが載っていないと色々ややこしいことになる。一度ナイロビに入れればパスポートの更新も、新しいパスポートへの就労ビザの移行もまとめて出来るのは分かっている。ケニアの知り合いなどに相談したりして、今のビザで入国することにしたものの、出国時にチェックされたこともあって頭の隅にずっと引っかかっている感じ。機内でも時々祈りながらここを通過するまで落ち着けないと思っていた。入国審査は大まかに4つに分かれている。「乗務員窓口」は明らかに関係ないが、「ケニア人」でもないし、コンピューターでビザ申請した「E-ビザ」でもないし、かといってたぶん東アフリカ3国協定内のタンザニア人とかウガンダ人とかが通る「アソシエイツ」でもない。Eビザの所には既に4重くらいの列が出来ていたので、とりあえずがらがらの「アソシエイツ」に並んで、Eビザに行った方がいいか聞いてみることにする。「働いてるの?」「はい、病院で奉仕してます。」「医師?」「看護師です」みたいな会話であっさり通過。パスポートの期限云々もお咎めなし。続いての指紋認証も、ゲート前の自販機で買って飲みほして持ち込んだ500ccのペットボトルに何度も水を詰めて飲ませてくれた乗務員さんのおかげか、スムーズ。いつもは脱水気味で指までからからでなかなか認識してもらえなかったりするのだが。 実は飛行機をタラップでおりてバスで建物に移動する時に、自分のものと分かるトランクを積んだ車が目の前を通過していたので、早く出て来るに違いないと急いで移動。小走りで追いつき、「2周目」に入ってしまうギリギリでトランク3つとも無事回収。ここまで恐ろしいほどの速さ。 まだほとんど人が降りてきていないので税関もガラガラ。普通にレントゲンの所を通ろうとしたら呼び止められて、大きな机のある方に行くように言われる。3つのうち2つを開けるように言われ、何が入っているか聞かれた。プリンターは保護のために買った時の箱にまた入れて荷造りしていたため、税金をかけられそうな雰囲気になるが、8年くらい使用している事を話すと、上司らしい人に相談した後お咎めなしとなる。今回ブルーレイのDVDが使える後付けの機械を新規購入しているので、こちらから申告しておくが、自宅で数回使っていることを話すとこれも課金なし。浄水器は友人から頂いたもので本当は幾らぐらいするけれども、モデルとしても少し古いもので、等どきどきしながら説明して、これもスムーズに通過。感謝! 人の流れが無いものだから、出口がどこだかわからないほどのがらがらの構内を抜けて坂を下り、パトリックさんが手配してくれたドライバーさんにも無事遭遇。名前のスペリングがちょっと違っていたが、ここで一般的な名前ではないからまあしょうがない。 空港の料金所を抜けてしばらく走ってから車内の時計を見たらまだ14時数分前。飛行機到着は13時10分頃だったはずなので、ほんとにもう信じられない早さ! 写真は途中で当座の食料に買った東南アジア製のインスタントラーメン。5袋で100円をちょっと切るお得なパッケージ。 音はテヌウェクに戻って最初の礼拝から(父の日)。
6月4日その3
今日のドライバーはパトリックさんの息子さん。人手が無くて急きょ手配して下さったらしいが、お父さんのように安定したドライビング。周囲の無茶な動きにも落ち着いて対応してくれる中、ああ、これがケニアの交通事情だった、と少しずつ思い出す。 「ナイロビは最近どう?」と聞いたら、「雨が降って寒い」との事。中央分離帯も緑が多くほっとするが、この時期の雨は季節外れで、本当は先月に降るはずだったそう。 前もってメールで頼んでいた通り、宿泊所に行く前に、携帯の支店のある大きなショッピングセンターに寄ってくれる。前の時はなかなかうまくいかなくて、それでナイロビ滞在が延びたんだよなー、と思いながらそんな話をすると、ドライバーさんに「数分で出来るよ」と言われる。本当にスムーズでびっくり。残念ながら前の番号はもう他の人に売られてしまったそうなので、新しい番号になってしまった文句など言っていられない。電池を外して1年とっておいたケニアのガラケーも、電池をはめてみたら半分以上まだ電池が残っていたのですぐ使えたのも感謝。続いてもう一つの会社の方に、と思ったら、何故かそこでは最近支店が閉鎖されたそうで暗くなっている。1年の間に何があった?!と思いながら、とにかく今設定した方が良いのでその隣に開いていた別の会社に迷いながら入店。手持ちのガラケーに合うSIMカードがあるかどうかと、病院周辺の地域もカバーしているか聞いてから決めようと思ったが、どっちもOKで早速手続き。テヌウェク病院の事も知っている人で和やかに進んだ。後で知人に聞いたら、自分が知らなかっただけで、ケニアの3大会社の一つで、国営系の会社だったそうでほっとした。今日からの宿は自炊も出来る所なので、数日分の食料も買い込んで一路宿へ。道中でケニア関係者に到着のお知らせを携帯メールしたり直接電話したり。写真は宿舎のコンロ2種。停電に備えて最近ガスボンベ式のも入れたらしい。
6月4日その3
勝手知ったる場所で、他の宿泊者もいないのでのんびり出来る。通常家族用に使われる大きい方の部屋にしてくれたので、トランク類も一度に全部広げてあちこちから探しながら作業出来感謝。ナイロビに居るんだから出来合いや出前と言う手もあるのだが、とにかく野菜がたくさん食べたい!また、例のアブダビ醤油も早く使ってみたい、という事で野菜炒めを2種作り、一つはラーメンと一緒に、一つはラーメンの副菜として食べる。機内食についてくる塩コショウをいつも使わないのでとっておくのだが、丁度良い量の調味料となる。日本にも早く連絡しないといけないのだが、そのままてこずっていると確実に食べそびれるのでまずは失礼して腹ごしらえ。停電も無く、宿舎のWi-Fiが早速使えて感謝。でも、メールを開けて、見たいメールをクリックしてから「テッテッテッ・・・」とメールが開くまで時間がかかってお茶が飲めてしまうペースに、そうそう、これがここの速度だった、と思い出す。それでもスムーズなんだから感謝。ただ、そんなペースを待ちながら日本宛に到着報告等している間に、そのままダイニングテーブルで寝てしまったのは残念。
6月5日
昨日知ったのだが、今日は国民祝祭日で休み。イスラム教の断食月(ラマダン)明けをお祝いする日なのだとか。新月の具合を見ながら長老の方々が協議して決めると聞いたことがあるが、結構直前に発表されることが多く、勤務している時は、対応にバタバタすることが多かった。と言うわけで、今日からパスポートの更新等しようと思っていたが役所関係はお休みなのでひとまずおあずけ。一休みするには丁度良いタイミングなのだろう。また、知らなかったけれど一日早く入国を設定していた事に感謝。この日に合わせてテロ事件が起きる事もあり、警戒が高まって通関が厳しかったり道路が混んだりしていただろうから。ケニア在住大先輩のYさんが車を出して誘って下さったので、買い物に連れて行っていただき、最近出てきた物、使い勝手の良い物、お勧めの物など教えて頂きながら、当座の物と、テヌウェクに持っていく買いだめ用の物とを購入。昼近くになったが、結構な量になったのと、冷蔵の物があるので一度宿舎に戻って冷蔵庫等に収納。お昼は?と聞かれて、2000年初赴任した頃に彼女とご家族から教えて頂いたエチオピア料理を食べに行きたいとお願いする。日本にいた時に、「ケニアの料理が恋しくなりますか?」と時々聞かれたが、実はケニアで食べられるエチオピア料理が恋しかった。喫茶店の小さい丸テーブル位の大きさで、やや厚めの酸っぱいクレープの上に、色々な具材が載っているので、下のクレープをちぎりながら具材と一緒に食べる。クレープは追加で頼むと、おしぼりみたいに丸めたのを持ってきてくれる。今日は黒っぽいクレープを頼んだが、白いクレープの時は、ほんとに見かけがおしぼりのようなので、よく間違えそうになる。ベジタリアンコースと、肉中心のコースがあり、どっちも食べられる「ミックス」をオーダーした。ナイロビに出ている間は外食が多くなり、栄養も偏りがちだが、此処だと色々な種類の野菜をたっぷり食べられるので嬉しい。価格も手ごろ(いいとこのレストラン一皿分の値段で4人分くらいたっぷり食べられる)なので、育ち盛りのお子さんを持つご家族の外食先によく選ばれるとも聞く。ただ、インジャラという酸っぱいクレープが苦手な人と一緒の時は行かれない。写真は2人分。2人分が最低単位なので、一人でナイロビに出ている時は、2人分を持ち帰り(テイクアウェイ)にしてもらい、宿舎で何回かにわけてゆっくり食べるようにしている。アボカドとマンゴーとパパイヤで3層になったジュースを置いている所が多いのだが、この寒さで誰も注文しないので今日はジュースは置いてないと言われた。代わりにホットジンジャーを頼む。たっぷりのお湯にたっぷりの生姜が入ったものに蜂蜜を入れた物。「強さは?」と聞かれて「普通」を頼んだが、のどや胃袋が直にあったまる結構な強さだった。食事の前後にお湯の入ったピッチャーと石鹸と洗面器を持ってきて手に注いでくれるので、手を洗って、食卓の紙ナプキンで水気を取って、手づかみで食べる。そうそう、こうやって手に注いでくれるんだった、と、スタッフの家などで食べた時を思い出す。日本語で色々な話をしながらリラックスして食べられるYさんがいて下さる事に感謝。
6月6日
朝8時から車を頼んであったので、日本大使館へ。細かい道筋は道中で色んな人に聞きながら、朝の混雑をきれいに抜けて連れて行ってくれた。が、写真が必要だったことをすっかり忘れていた。手持ちの物も合わなかったので、出直してちゃんと最新のを撮ることにする。柔軟な対応で、とりあえず書類を受理して下さった事、遠方に来週早々出るという事で、発行をうんと早くして下さる事になったのは感謝。ドライバーさんの派遣先に電話して延長をたのみ、最寄りのハーリンガム通りの写真屋さんへ。9時開店という事で9時過ぎに開店してくれるまで、近くのコーヒー店のお手洗いを借りたりしながら少し待ち、入店すると「パワーオフ(停電)なのでまた午後来てね」とのこと。そんなあ、と思いながら、「神様、何とか・・・」と祈りながらしばらくすると、お店の人が発電機を回し始め、他に待っていた数人の人たちに続いて無事証明写真を撮ることが出来、感謝!最低4枚と言っていたが実は4シートで大量に写真を貰う。1枚で良かったのに。当分使える。ボタン電池も売っていたので、自動車の鍵用に購入しておく。大使館に取って返し、写真を届けて一路宿舎へ。 写真は地元トマトと地元キュウリ。水道の水は飲めないので、水道の水でざっと洗ってから飲み水用の水で洗って食べる。この手間に、ああケニアに来たんだなあと思う。帰国して日本だなあと思うのはその逆パターンで、水道水でさっと洗った生野菜がそのまま食べられること。イタリア系なのか、ちょっと細長めのトマトを見かける事が多いように思う。キュウリは写真にあるような地元の太くて短いものか、同じく太目でイギリス系?のやたらに長い(フランスパン位)1本1本ラップに包まれているものかどちらか。 音は父の日のシングスピレーションから。この日は若い人たちが中心のグループがリード。一続きの物を少しずつ切りながらこれから数回載せていく予定。
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6月7日
9時過ぎに来るようにという事だったが、思いのほか道が空いていて、9時前に着いてしまう。また柔軟に対応して下さり即発行。 宿舎に戻り、洗濯と乾燥をしてから、今日泊まる方の都合とWGMルールのため今夜だけ別の宿舎に移動。洗濯が終わって蓋を開けたら、変なぷよぷよがたくさん。洗剤の溶け残り?と思って思い出した。高分子ポリマー製品!ごみは服と別にして捨てたよね、うん、捨てた、と自問自答して確認しなかったこと。袋からポケットの中身などを確認しつつ、服をパタパタと広げながら1個ずつ入れれば分かったものを、今日に限ってどさっと袋の中身を直接開けて、洗濯槽の中で適当にほぐすという暴挙をした事など、スイスチーズ論理が重なっての大惨事。手で出来るだけかき出して廃棄。その後すすいで、高水位で空回し。同時進行で、そばの深いシンクで、服にまんべんなく絡みついたぷよぷよを裏、表、ポケットなどチェックしながらすすぎ落とす。最近雨がちだからまだ良心の呵責はやや軽いものの、水の貴重なアフリカで、なんということでしょう、と嘆息しながらの作業。完全に取り切れていないのでこれらを乾燥機にかけるわけにもいかず、屋内の洗濯ロープに広げて干してから出発。空港周辺や役所周辺など、プロの運転手さんの運転を横から見ながら、周囲の無茶な運転のノリ(?)を見ながら感覚が少しずつ戻ってきたようには思うものの、久しぶりの運転でどきどき。今晩泊めて頂くR宣教師のところまでは2分程度で着いたのだが、キーレスエントリーの鍵用の電池が完全に切れていて、緊急用の鍵で運転してきたので、折角ナイロビにいるうちに買っておこうとジャンクションモールまで足を延ばしてから行きますと連絡し、そちらに向かう。金曜の午後、学童のお迎えなどで大渋滞、片道2時間程度かかる。パスポートの更新は5分だったのに、電池1個に2時間とは、と苦笑。探す型のボタン電池を扱っている店が見つからず、それぞれの親切な店員さんたちに「○○なら置いているかも」と教えてもらいながら5件くらい梯子してようやく入手。親切に「領収書を渡す前に実際に試してきたら?」と言ってくれたので、一番遠い駐車場に停めてしまったことをちょっと後悔しながらはるばるでかけ、でも間違いが分かったので、本当に正しい型の物を入手できた。感謝。帰りも2時間くらいかけてようやく到着。移動距離はたったの2キロくらいだったのに。1年ぶりにR宣教師と会えて近況を交換。今年引退のF宣教師も後から加わると聞き、もう会えないと思っていたので感謝。ただ、数日前に拾ってしまった風邪が悪化してきたので、早めに就寝。 高分子ポリマーの写真だけでは見苦しすぎるので、これもお見苦しくて申し訳ないのだがこちらの卵を。ゆで卵で既に黄身の色が薄いのがお分かりかと思うが、卵焼きやスクランブルエッグにすると、さらに黄身の存在は消えてしまい、白身だけで作ったような色になってしまう卵が多い。餌のトウモロコシが、熟しても白い種類のせいかも、等色々言われているが、ちらしずしなどの「彩り」になってくれない事が多い。
6月8日
朝になって、2日後に引退のため帰国してしまうF宣教師と再会出来て感謝。最後の日になってもまだ助けてもらったり。お土産にR宣教師お手製のシナモンロールを持たせてもらい、再びジャンクションモールに寄ってテヌウェク滞在用の物を本格的に買い出し。R宣教師の所に泊めてもらったりしながら、「そうそうあれも買ってなかった」と色々思い出した。長旅の後はいつも以上にボーっとしていたのか、ゲスト用のコーヒーの粉は買ったのに、そういえばコーヒーフィルターってあったっけ、と思い出したり。 でもまずは給油から。要注意サインなんてめったに出ない上、渋滞で消費が大きいのでどきどきしながらとにかくガソリンスタンド(ぺトロールステーション)にたどり着く。ほんとに空で、今まで見た事ない位の量が入り、無事に間に合って給油出来て良かったー、とほっとする。それからモールにたどり着くまで宿舎から2時間くらいというところか。遅い昼食をとりつつ、携帯電話会社のモデムも購入。すぐ次、の順番だったけれど、前の人を待つのに30分以上はかかったか。でも待った甲斐はあった。初日に寄った所では閉店していて何があった?と思った会社だが、ここでは普通に営業していた。「テッテッテッ・・・」でなく、日本の順調なところ並みに早い。今度のZoom会議はこっちの回線を使おう。 2日目にお世話になったYさんに教えて頂いた中国食材店に寄ってみる。たぶんこれ、と思う種類の大きな容器入りの醤油が買えて良かった。帰ろうと思ったら屋根に大きな鳥が!と何枚も写真を撮ってしまった。 夜、Yさんのご自宅に招いて頂いた時にその話をしたら、そんなに珍しいことではないらしい。ナイロビってやっぱりすごい。
6月9日
ナイロビで最初の日曜日は、キュナ幼稚園の構内で持たれる礼拝に参列します、と連絡。ネットで検索すると、日本でいうと丸の内的なところを抜けていく近道が提示される。平日はとんでもなく混んでいるが、日曜日はお盆の都内並みにガラガラなので、妥当な道案内と思うが、やっぱりちょと自信がないので、大回りだけれども分かるところを通ることにする。出ようとするとあちこちの鍵が順番に行方不明になったりなんだかんだと邪魔が入って遅れてしまった。帰り道に、近くのサリットセンターに寄ることにする。いつもの入り口が混んでいてうまく入れなかったのでぐるっと回って別の所から入ろうとする途中、見慣れない所にサリットセンターのマークの付いた駐車場があり、空いていそうだったので入ってみる。知らなかったけれど、新しく建て増しした方に入ったので、まだほとんどの店舗が開店準備中だったがあちこち探検できた。いつもの入り口から入ったら、建て増しされている事にも気が付かなかったかもしれない。同じ系列のスーパーマーケットでも置いていたり置いてなかったりするものがあるので、今まで見つからなかった幾つかを購入できた。 明日の午前中に移民局の手続きが終われば時間的にテヌウェクに戻ることは可能だが、たぶん着くのは夕方早く。IT部門は5時で終了なので、インターネットの設営が間に合わないかもしれない。日本で午後からの会議にZoomで参加するにはこちらの朝7時から。とりあえず今の宿舎はモデムのおかげもありかなり回線の状態が良いので、火曜の朝にZoom会議に出てからテヌウェクに戻ることにしよう、と予定変更して関係各所に連絡。忙しい時期だろうけど、2日あれば誰かの都合がつくだろう、といつも運転手を頼むPさんに携帯メッセージを送っておく。数年前まではテヌウェクーナイロビ間も自分で運転していたが、前の期ごろから、種々のトラブル防止のため長距離は運転手を頼むこと、と上から言われているため。 写真は当座の必要で買った牛乳。日本のようなパック入りやボトル入りもあるが、こちらの方が安い。とはいえ、こんなパツパツのプヨプヨの物体をどうするんだろうと思ったら、一度に使わない時はボールのような入れ物に入れておく事を見よう見まねで学習。
6月10日
ナイロビの事務所で移民局の手続きなどいつも助けて下さるJさんと一緒に移民局へ。平日はものすごい渋滞なのと駐車スペースも無く駐車料金も高いので、通勤には自分で運転してくる彼女も、役所近辺の用事の時は彼女もタクシーを頼んで乗り捨てる形。Uberというスマホのアプリで頼んでいるところが都会のナイロビらしい。こちらもびっくりする速さと順調さで終了し、感謝。出直してヤヤセンターへ。数日前に飲み水用のフィルターが壊れてしまっているので買えるなら買った方が、とテヌウェクから連絡を貰い、ヤヤセンターのハードウェアショップに頼んでいた。土曜位に入荷するから電話をくれる事になっていたのだが、結局連絡がなかったので再度こちらから携帯メールを送ったりして月曜入荷、と聞いていたのだが、今日出発だったらちょっと間に合わないタイミングだった。無事に4本入手でき感謝。 明日出る事を考えて、肉類、野菜類など購入。八百屋さんでは、前のポイントカードが見つかったので「使える?」と渡したら、レジの若い人は、こんな古いの、と言う表情で首を振ったが、後ろに控えて居る年配の女性に回してくれて、新しいカードと共に、500シリングが帰ってきてびっくり。毎回まとめ買いするので多少ポイントはたまっていたはずだが、全部白紙になるだろうと思っていただけに。 写真はここの220-240Vに対応するための延長コードとアジャスター。日本で買ったコンピューターでも重たい変圧器なしでどこでも使えるのはありがたいが、電源コードがはまるようにいつもこれを持ち歩く必要がある。
6月11日
朝7時から(日本時間午後1時から)日本で会議があって、Zoomで参加。初めての時はスカイプだったが、日本の先生方の賛美の声などがリアルタイムで聞こえ、ここケニアなのに!と感激した。回線の速度が速い携帯モデムの方でつなぐ。購入時のキャンペーンで「おまけ」として30日間有効の15GBをつけてくれたので、使わなければ勿体無い。最初の時に一度不調になって再起動、それまでのチャット内容が全部消えてしまったが、その後は問題なし。こんな風にテヌウェクでも使える事を考えてわくわくする。 会議終了して、早めに確認の携帯メールをPさんに入れる。いつも打てば響くように電話なり携帯メールなり返ってくるのに先日の返事が無くておかしいなと思いながら。今回は手持ちの番号全部に携帯メール。数秒で電話がかかってきて、「今日移動の手配?聞いてないんだが。」どうやら古い番号か現在不調の番号へ送ってしまっていたらしい。今から2時間以内の手配は無理、という事で、もう一日滞在を延長する。 実は、ナイロビのそこそこ良い舗装道路でもハンドルのがたつきがあり、早く移動しないといけないけど、点検しないまま出てしまうのはどうだろうか、と気になっていたところだった。やっぱり長旅の前にちゃんとしないと、ということだろう、といつも見てくれる修理工場(ガレージ)のChogiさんに電話、アドバイスをもらってンゴングロード添いのオートエクスプレスへ。同じンゴングロードでも、現在の宿舎の周辺は昨年真っ最中だった工事が終わっていて良かった良かった、と思っていたので、今日向かった方面が工事真っ盛りだとは知らなかった。いつもだと舗装道路をすっと行くはずが、土ぼこりの工事中のがたがた道を走りながら、工事中のフェンスで囲われて見にくい沿道のサインを探しながら半往復。それでも他の人に聞いたりしてなんとかたどり着けて感謝。渋滞の中、時間はかかったが、その分きょろきょろする時間もとれた。 アラインメントとバランスが必要、という事で、携帯メールの整理などしながら待って終了。タイヤの圧もどれくらいがいいとか色々アドバイスもくれた。最後の受付の人はテヌウェク病院の近所の出身の人で、キプシギ語で挨拶したら面白がって色々話してくれた。 帰り道、妙ながたつきが無くなっていて、やはりもう一日あって良かった、とほっとする。テヌウェク側にもう一日滞在する旨連絡した返事の一つが、「余分の一日を楽しんでね!」という携帯メールだった。当座の食料と思って買っておいた食材も一区切りなので、またエチオピア料理のお店に行って今度は持ち帰りを頼む。待っている間にエチオピアコーヒーを頼む。茶道のように色々作法があって、香を焚いたりしながら入れるのだが、お店の入り口でまとめて作っていたようで、すぐに持ってきてくれた。100ケニアシリング(およそ 100円)で、小ぶりの茶碗に1杯半の量があった。本国ではしないと聞いたことがあるが、ケニアでは添え物としてポップコーンを出してくれることが多い。小皿にちょびっと、と思っていたので、日本ならこのポップコーンだけで100円するのでは、と思うようなたっぷりした量をもらってびっくり。食べ終わった頃にはもう持ち帰り分が出来ていた。先日黒っぽいインジャラ(クレープ)を撮ったから、今度はおしぼりに見える白いのを頼もうかと思ったが、黒っぽいのはある時と無い時があるので、折角だから、とまた黒っぽいのを頼んでしまう。持ち帰りの時は、生のサラダもあるので初回に野菜を全部食べる事にしている。後は辛いのや辛くないのや色々な味付けの肉類を小分けしながら数回にわたって食べる。今回は冷凍肉などと一緒に持ち帰り、テヌウェクで数日分の食事になった。
(校註;先日読み直したら、アラインメントがアライアンスになっていたので訂正しました。大変失礼致しました。)
6月12日
Pさんのドライバーさんたちはいつも時間前に来てくれるのだが、珍しく時間を過ぎても現れないのでPさんに電話。たぶん朝の混雑で遅れているのだろうけれど、昨日彼の電話番号の入った携帯が盗難に遭ったので彼と直接連絡が取れなくてごめんなさい、という返事。この所不調な番号が出たり盗難にあったり、Pさんも色々大変である。また、自分は今まで守られているけれど、やっぱりナイロビってそういう危険もあるところなんだよなあと思わされる。 マニュアルとオートが混在している車なので、運転したことある?と操作を説明しているうちに、どうもずっと前にお世話になった、確か同じ普通免許でも、Aクラスライセンスだか何だか持っている大ベテランの人なのでは、と徐々に思い出す。彼はPさんの部下ではなくて友人のようなポジションで、彼の部下が出払っていたり、私の車(と私?)のようにややこしいケースの時には呼ばれて、彼のスケジュールが開いていたら手伝ってくれる、という立ち位置だったと思う。 昨年の帰国前に、限られた日程の中で突然発生した諸手続きのため、何度かテヌウェクとナイロビ間を往復しなければならなかったが、その時のドライバーさんの一人が大きな交差点を曲がり間違えた事に寝ていた私が気づかず、着いたよ、と言われて目が覚めたら全然違う町だった、という事があった。色々な人に聞きながらたぶん100キロ以上の大回りをして行くべきところに行った、という話を今日の彼が知っていたので、Pさんが殊更に配慮してくれたのかもしれない。今でこそ大ベテランの彼だが、「若い頃は僕も大失敗した事があったよ。」と、まだ駆け出しの頃、道がよく分からないまま夜中に運転してやっぱり全然違う町に行ってしまい、乗客のナビを受けながら本来行くべき町にたどり着いた、という話を面白可笑しくしてくれた。自分の運転を棚に上げてどうこう言えないけれど、過去の乗客にせかす人が多かったのか、やたらに飛ばす人がいたり、急ハンドルや急ブレーキでヒヤッとさせられたり、色んな人がいる中で、今日のドライバーさんはほんとに安心して乗っていられるし、話題をどうしようとか思わずに和やかに車中を過ごせて本当に良かった。 病院から8キロ位のボメットの町だと帰りの便がすぐ見つかるので、ここで運転交代。最 後の最後にやっぱり病院まで運転してもらおうかな、と思ってそういったつもりだったが上手く通じなかったこともあり。 病院の正門前の難所を無事通過出来、家の前に停めた所で、通りがかった宣教師の方々などに手伝って頂いて、荷下ろしも短時間で終わった。感謝。 冷蔵・冷凍物だけとりあえず収納、昼食を用意して下さっていたM宣教師のお宅へ。鶏肉入りのキャセロールと良く熟れたアボカドなどの食事を撮り損ねてしまったので、デザートだけでも、と撮影。内々の話も含めて色々近況も伺う。ナイロビで調子よかったモデムが、その携帯会社のアンテナが住居近辺では少なくて、ほとんど使えないという情報も入手。彼女も同じのを持っていて、「ナイロビでは全く問題ないんだけどね」と。そんなあ。Zoom会議をナイロビで済ませられて良かった。もしモデムが使えたら、病院のネットワークに登録しなくてもよくなるかと思っていたが、そうはいかないらしい。ちゃんと繋がればかなり早く送受信出来るので、後は職場近辺でどのくらい使えるかに期待。 とりあえずスマホの携帯会社のアンテナはそこそこあったので、日本にはそれを使って安着を連絡。 写真は雨のせいで途中見降ろしたリフトバレーが本当に綺麗だったのに撮り損ねてかなり低地から撮影したものと、昨年中国資本で建設中だった電車の線路がほぼ完成したところと、お昼のデザート。最初全部高架で作っていたと思ったが、最後の方の写真のように、べったり下をコンクリートでふさいでしまったところもあるので、地元の人や野生動物の通行に支障が?という話も。タヌキ穴みたいなのを作ったとかいう話もあるけれど。
6月13日
昨日いつも家を手伝ってくれるJさんに電話。すでに何度か来て家の掃除をしたり、ベッドメーキングをしておいたりしてもらっていたが、こちらもまだ手伝ってもらう体制が整っていないので、明日から手伝ってもらう事にする。ナイロビの買い物と、色々なものがあちこちに入っているトランク類をまずは空にして、ようやく裏手の倉庫室から、昨年詰めた箱類を運んでは開封、整理、収納、運んでは開封、整理、収納、のサイクルを始められる。昨年は大まかなメモを作ったのだが、それによると大小合わせて90箱近くを開封しなくてはならない。 日中に病院のIT部でインターネットの設定をしてもらう。携帯モデムも持って行ったが、IT部付近でも今一つの作動。手術室周辺ではもっとよく動く事を期待しよう。Wi-Fiは住居付近では弱い時があるが、今回LANケーブル経由はかなり快適に作動していて感謝。 昨日冷蔵庫を開けたら色々入っていて、だ、誰の?と焦ったが、昨日の電話で、Jさんが私のために作っておいてくれたものと判明。厚めのクレープのようなチャパティやご飯や野菜たっぷりのシチューなど、エチオピア料理の残りの肉類少しと混ぜたりしながら感謝して頂く。私が不在の間滞在していた方々用に準備された調理器具や電子レンジなどがまだ置いてあるので、自分のが出てくるまで使えるのは本当に助かる。 写真は夕食に招いて下さったC宣教師ご夫妻の食卓から。「昨日の残りでごめんなさいね」と仰っていたが、美味しいチキンパイだった。ご主人は牧師、奥様は産婦人科医のカップルで、25年くらい前に、まだ小さかったお子さんと一緒に、2年程テヌウェク病院に滞在して奉仕されていたとか。当時小学生くらいで、学校が荒れていた時に石か何かを例えにして学校でご主人の方のC宣教師がメッセージを語って下さった、と覚えているのは、現在テヌウェク病院内のAGCベテスダ教会の主任牧師のB先生。当時の頃の思い出話は、道路や通信手段が今よりもっと不便だったので、色々と興味深い。奥様の方は、子供の頃、お父様のお仕事の関係で2年程日本に滞在されていたとか。「さくらさくら」とか「森のくまさん」とか色々歌を覚えていて、一緒に歌って下さったりもする。クリスマスの時には、「きよしこの夜」を一緒に日本語で歌っている所をご主人がビデオに収めたり。日本から送って頂いたお菓子のおすそわけをした時は「懐かしい!!」と喜ばれる事も。というわけで、寒かったこともあり、食事の時は砂糖なし・ミルク無しの緑茶を煎れて頂いた。
6月14日
今日もひたすら箱開け。Jさんが来てくれて、箱から出した食器類が台所に積みあがっていたのを、次々洗って片づけてくれる所へ、ごめんねーと言いながらまた足していく。途中、力仕事などの助っ人としても活躍してくれ、昨年の収納をものすごく助けて下さったPさんが立ち寄る。「荷物大丈夫だった?」「雨漏りとかカビとか虫とかネズミとかは?」と聞かれ、それらから守られて、無事だったことをもっと感謝しなくては、と反省。 写真は、昼食に招いて下さったB宣教師の食卓から。隅っこのトーストはガーリックバター(バターはおそらく彼女のお手製)がついていて美味しかった。病院の隣に併設された看護学校で教鞭を取っておられる合間に招いて下さって恐縮。人を招きつつも休み時間をちゃんと守って時間通りに学校へ戻る手際は流石。洗い物の予洗でさっと水通ししながらも会話が続き、時間の無駄がない。先日帰国されたF宣教師とほぼ同じ、今年で38年目になる大ベテラン宣教師。彼女も引退を視野に入れて色々忙しい話など伺う。病院周辺の人たちが使うキプシギ語には堪能な彼女だが、スワヒリ語をもっとちゃんとやりたかったのよね、自分で出来る範囲で色々しているけれど、と、言いながら、スワヒリ語学習の事を色々聞かれる。デザートを撮り損ねてしまったが、2色のソルベ(シャーベット)。クールエイドという、香り付き色付きのドリンクを作るための粉があるのだが、それに牛乳やレモン汁(または酢)や砂糖などを加えて凍らせたもの。半冷凍の所でかき混ぜて何度が空気を含ませる手間は同じ。2000年赴任当時、アイスクリームの入手が今よりもずっと困難だったので、「アイスクリーム代わりになるもの」として彼女たちにレシピを教わった事がある。その時、「ライム味は美味しくないので使わない方が」とも聞いた記憶がある。クールエイドは、小袋で約2リットル作れるのだが、砂糖を1カップ(200㏄でなくてアメリカサイズの240㏄ないし250㏄)加えるのが標準レシピ。うんと小さい頃、「アメリカの人はこういうのを飲むんだよ」と教わって、「こんなに砂糖を入れるんだ!」と貴重品の砂糖をどっさり入れるのにびっくりした事がある。ほんのちょっとの粉が、鮮やかに発色するのにもびっくりした。飲むと舌が染まる。「アメリカの味」なので、ケニアでは手に入らない。帰国の時に買って持ち込んだり、短期で来られる方が「お土産」として持ってこられるのを貯めて、大事に使っておられる。お子さんのおられる家庭では必需品だったような記憶も。ただ、最近は砂糖の量を懸念してか、似たような粉なのだがクリスタルライトと言う名前で、すでに甘みがついていてしかもカロリーが低い(ライト)なのが人気のようである。
来週の火曜から語学研修開始なので、一気呵成に箱開けを勧めたいところだが、ここでかくんと逃避行動に入ってしまい、なかなか思うように進まない。日本で頂いた医療ドラマを見ながら、こういう風にケア出来たらなあと考えたり。 今月末に数年ぶりにケニアを訪問するご家族の食事担当を一食分することにしたのに、まだお客さん用の大皿とか色々出てきていない。 写真はテヌウェクに戻ってから作ってもらった初チャイ。ナイロビでも砂糖抜きで自分で作ったりしていたが、やっぱり違う。
ケニアで2度目の日曜日、テヌウェクで最初の日曜日。朝食はB宣教師が招いて下さったので、同様に招かれたA先生やレントゲン医師のご一家などと一緒にご馳走になる。父の日という事もあって、それぞれの父の思い出など紹介する一幕もあり。 もともとアメリカで始まった習慣ではなかったかと思うが、当初あまりケニアでは知られていなかったような印象のある父の日も、数年前から病院内のベテスダ教会ではかなり意識しているように思う。教会としてプレゼント(ハンカチを細いリボンで結んだもの)も用意していた。ケーキも準備されていて、「一番年上のお父さん」「一番誕生日が今日に近いお父さん」「一番若い(一番最近子供が与えられた)お父さん」で選ばれた人たちが本をもらったり、ケーキカットしたり。ケニアでは親戚の「おじさん」も「お父さん」扱いされるので、プレゼントの時はそこまで拡大解釈して呼ばれていた。 今月のメッセージは、父の日がある月という事で、男性の役割などに焦点をあてたメッセージのシリーズ。先月は母の日がある月だったので、女性強調月間だったようだ。
家を手伝ってくれるJさんが来るまでに、多少の進展はあったものの、今日中に全部終了とはいかないようだ。書類関連はすぐに底までさらえないので一か所に積み上げ、とりあえず明日の授業に備えて、ダイニングルームのテーブルの上と入口からテーブルまでの通路だけなんとか空ける。 帰国する方々が置いて行って下さったりしたスワヒリ語の本や資料が結構あって、それもそばにおいておく。自習しかけのノートとか、書きかけのメモ帳とかでとりあえず準備。 写真はナイロビで買えた西瓜。縞々の細長い物か、真っ黒で丸いものがほとんど。高地のため、知らない間に脱水になってしまう事があるので(を言い訳に)週末にカットして、小分けして水分補給。昔リビングストンの伝記によく出てきた記憶があるのだが、この辺では人気が無いとか最近聞いて不思議に思った。手術室の主任の奥さんは好きだと聞いているので、美味しかったらおすそ分けすることも。ナイロビで西瓜をコンコン叩いていたら、「何してるの?」とお店の人に笑われたことがある。「これで中身が詰まってるとか美味しいとか、分かる人は分かるんだって。高くて済んだ音が良いらしいんだけど」と説明したが、少し後でまた行ったら、お店の人でコンコン叩いている人がいた。やっぱりこっちでもする人がいるのか、それとも日本人の影響か?それはともかく、今まではナイロビか、ボメットまで行かないと買えないものだったが、少し前に病院の前で、リヤカーに山盛りに積んであるのを見かけた。これからはもう少し頻繁に食べられるかもしれない。
ちょっと緊張しつつ朝9時から初授業。復習用にスマホのボイスレコーダーもスタンバイ。まず、スワヒリ語とは、みたいな話がちょっとあって、母音の発音と子音の発音から。ほんとに初歩からのスタートなんだなと思わされる。自分でテープを買って聞いたり、教科書を買って自習したり、日常会話から拾ったり、昨年は無料アプリで少し慣らしたりしていたが、なんでこうなるの?と思っても系統的に聞けなかったりしたので、この機会が与えられたことに感謝。(この国の免許を取得できるまで病院で活動できなかったので)以前直近の地元の人の言葉を習っていた時の事を思い出し、当初一日2時間が限界、と思っていたが、先週、最初の打ち合わせの時4時間と言われて、「そ、それは無理かも」と引いていたら、同じ内容で3時間に短縮することは可能、という事だったのでそうしてもらった。初日だから客観的には大した進展はないはずなのに、3時間の終わりにはかなり集中力が切れてきているのがよくわかる。4時間にしないで良かったー。 写真は水フィルター。昔「しずくの冒険」という課題図書があったと思うが、雨が降って屋根、雨どい、建物の隣の貯水タンクにたまるまではまたいつか。タンクから大きな鍋に入れて20分位煮沸して冷ました水をこのタンクの上の部分に注ぐ。ナイロビで買ってきたキャンドルと呼ばれる素焼き(?)のフィルターでろ過されて下のタンクにたまるので、手持ちの大きなボトルに入れていつでも使えるようにする。その都度蛇口から取れば、というにはあまりにも水の出が細いので。煮沸だけでも飲めるはずだし、フィルターだけでも飲めるはずなので、やりすぎという話もあるが、煮沸しても近くのビワの花粉が入っていたりすると見かけが茶色かったり、フィルターだけでお腹を壊したボランティアの人の話をちょくちょく聞いたりするので、病は気からともいうし、見かけも、どんな処理してますか、と聞かれた時もそこそこ安心できるように、ここはちょっと贅沢している。 ところで買いたてのフィルターは、数回水を通してからでないと、最初はコンクリートをなめているような味の水が出てくる。その水は勿体無いので麺を茹でたりするのに使いながら、水が美味しくなるのを待つこと約1週間。よそのフィルターでJさんが作っておいてくれた飲み水や、きれいな保管用ボトルを手に入れる為もあってナイロビのスーパーで買った5リットルボトル入りの水数本やスイカでしのぐ。
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ボイスレコーダーの内容をコンピューターに移動できるソフトが見つかって、そこから今回の巡回中にある方のプレゼントで与えられた移動式のミニスピーカーに飛ばして家のあちこちを移動しながら聞けるのは助かる。ほんとはもっと高い物らしいが、量販店でセールをしていた上に、2回目の来店で名刺を持っていたので、その分も割り引いてくれて予算に収まったという代物。机の上に置いているだけの録音なので、音がより大きく出来るのも助かる。もともとは国内の巡回・報告用に作成したビデオの音声にムラが出来てしまい、極端に音量が小さい部分をなんとかしたい、ということからだったのだけれど。
写真は、メモしなかったので正確な日付が分からないのだが、再赴任して今期初ウガリとスクマ。ウガリというのは、熟しても白い種類のトウモロコシを小麦粉位の細かい粉に挽いたものをお湯に投入して、水分を飛ばしながらダマが無くなるようにひたすら練り、ひとまとまりになったところでちょっと蒸らして、なべの内側にちょっとオブラートのような薄い煎餅のようなパリッとしたおこげが出来るまでにしたもの。日本の物で例えると?と聞かれると、自分でもあまり食べたことないのに「そばがきみたいなものでしょうか」と言っている。 要するに団子状になっているので、熱々のそれをきれいな手でちぎって江戸前寿司みたいな形にし、親指でくぼみを作ってへこんだところにスープ込みでおかずをすくって、おかずとウガリを一緒にばくりと食べる。またこね直してくぼみを作ってすくって食べる、を繰り返して手持ちが無くなったらまた大きい所からちぎってきて、を繰り返す。写真はカレー皿位の所に盛ってある一人分。家族など大人数で食べる時は、もっと大きい塊がどん、とテーブルの真ん中にあって、それを大きく一人分用の中皿に切り分けたり、お皿ですくいながら切りとったりして、それぞれの分から手でちぎり取ってこねて食べる。もっと食べたかったら、また中央の鍋などから大きい切れをお代り。けっこうお腹にたまるのだが、久しぶりでもあり美味しくて全部食べてしまった。人の家に招かれると、たくさん差し上げるのがおもてなし、という面もあって、これを数回分勧められて、食べられる人もいるのだが、私は最近は1回分くらいか。日本の普通の食事量なら、このお皿の5分の1くらいでも十分かもしれない。もちろんスプーンやフォークが添えられている事もあって、それで食べても良いのだけれど。
ところで、この白い団子状の物を、この辺の人は「ウガリ」と呼んでいるのでそれがスワヒリ語なんだと思っていたら、「シマ」というのが正確なスワヒリ語、と授業で習った。ただ先生はこの辺の事情も分かっているので、「この近所の人にはシマといっても通じないし、モンバサの人やタンザニアの人に「ウガリ」と言っても通じない」と解説してくれた。
スクマ(スクマウィキ)とは、日本では青汁の素として有名なケールの葉っぱを細かく切って炒めた物が定番のおかず。今日のこれは、キャベツ主体の炒め物にスクマウィキが少量混じっている。
授業3日目。朝のうちに5-6箱移動しておいて、授業の後整理するパターンが続く。午後から雨が降ることも多いので、このパターンが無難なよう。授業の後は頭がバーストしそうになるので、荷物整理とか違う事を少しして、頭が冷えた所でまた復習に戻ったりしている。 写真はスクマウィキがほぼ100%のバージョン。玉ねぎも少し入っていると思うが、場合によってトマトを足したり、懐に余裕があれば肉の小片が入っていたり。味付けは、ロイコという会社の総合調味料を入れる事が多いよう。コンソメと片栗粉を足したようなもの。
今週の最終日。今週は火曜から始まったので1日少ないはずなのにかなり疲れている。 日中、前から頼んでいた配管の人たちが来てくれた。病院のスタッフなので頼みやすい反面、病院から看護学校から職員住宅からその他諸々の広い範囲を少ない人数でカバーしているので、なかなか来てもらえないこともある。頼んだのと同じ週に来てくれて感謝。シャワーの温水の蛇口が最近上手く閉まらなくなり、斜めに押し込んで変な角度で閉めないと水が止まらなくなっていた。中心のねじがさびて溶けていたそうで、普通に閉めても止まるようにすぐに直してくれて感謝。手術室で何かと緊急に呼び出しては助けてくれるRさんだったので、「戻ってたの?久しぶり」とひとしきり挨拶。「スワヒリ語の勉強かあ。キプシギ語の予定はないの?」と聞かれ、「同時はきついので、スワヒリ語が一区切りついたらいずれは、と考えている」と言ったら、「それは良い」と嬉しそうな顔をされた。キプシギ語は西暦2000年に看護師免許が下りるのを待つ間少し学んでいたが、中間テストのすぐ手前に来た辺りで免許がおりて病院に上がれるようになってそうしたら時間が取れなくなって、で止まってしまっている。それでもキプシギ語の一人称(私)は「ア」で始まり、スワヒリ語の一人称は「二」で始まるのを口が混同したりしている時がある。スワヒリ語の場合、三人称(彼、彼女)は「ア」で始めるのでよけいややこしいから、今のレベルで2つの言語学習は、私にはまず無理。 写真は、数年前に手に入った野菜用の洗剤。お客さんの用の調理をする時を中心に、消毒前にきれいにしたい時に使う事がある。ここの泥は粘り気が強くて取れにくいこともあり。
テヌウェクから8キロほど離れたボメットの町へ。日本からの送金を受け取る口座の状態を知りたかったのと、ATMカードの暗証番号が印刷された紙が見つからないので、確認をしたかったのと。口座は無事だったが、新しいカードを発行するのでまた来週来てと言われた。思い出したような気もする番号を試そうとしたらATMがメンテナンス中か何かで使えない。 来週末予定のゲストも考えて、ソーダの仕入れも必要。倉庫から出してあった空瓶とケースを車に積んで、確かこの辺と思った所に卸売り店が無い。途中で道を聞いた人の一人が親切で、後から追いかけてきて実際の場所までついてきて教えてくれた。 2000年の赴任当初は、買う為の空瓶がなくて苦労したが、ここは卸店で、ケースに不足している分もそのまま売ってくれた。種類も数も豊富なので、ほぼ全種類をそろえられ、しかも「コークゼロ」のほかに「ファンタゼロ」というのが出ていて在庫もあったので、そういうのが必要なゲスト用に入れておく。 写真は野菜の消毒液。かの有名な哺乳瓶の消毒液と同じで、哺乳瓶の消毒方法の下の方に「野菜や果物の場合」と書いてある割合と時間を使用する。ケニア製の真っ赤なボトルを買う時もあるが、いつどの種類が出回っているかナイロビに出てみないと分からない。とにかくその時にあったものをとりあえず確保。何件探してもどの種類もみつからないときもあるので、今回はナイロビでこれが見つかって感謝だった。哺乳瓶の場合はそのまま使うように書いてあると思うが、野菜果物の場合はきれいな水ですすぐように書いてある。これは浸水時間が15分と短いが、種類によっては1時間以上浸すように書いてあるので、トマトなどの生野菜が消毒液臭くなってしまうことがある。指示されなくても別の飲料水用の水に浸し直して、塩素系のにおいをとるようにしたりする。自分用には(きれいな水の出てくる水道に見立てて)片手で飲料水のボトルから水を流しながら片手でトマトを洗ってよしとすることが多いのだが、ゲスト用は量も多いし念には念を入れる。 音はある日の献金の時の伴奏から。歌いだしなどタイミングが合わない事があり、ずれていく中演奏の方が見事に揃えている。
(校註)更新してすぐアクセスして下さった方はお気付きと思いますが、ビデオの写真が昨日と同じでした。今差し替えた所です。大変失礼致しました。